ド田舎敷島の住人による雑記


by akbuzz
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カテゴリ:読書感想文( 3 )

バカの壁


実はかれこれ2週間以上前に読んでいたのだ。
なかなか筆不精?キーボード不精?でレビュー書かずにいたが、
ボチボチ文章化してみましょ。

まず第一に、「なんでコレがバカ売れ?」
そんなに万人受けする文章じゃない気がするんだけどなぁ。
勢いで読んじゃった人が多いのかしら?(あたいも???)

私的に賛同できたのは1箇所。
「今の日本は個性が大事だという世の中だが、突出した個性を認めない社会」

ごもっとも。
常識の範疇での個性は個性とは言わない。
確かにそ~だ。

「ある人の常識の範疇」=「その人でも出来る可能性がある」
ということ。
その常識の範疇を超えると「変人」「変わり者」「非常識」。


日本人は「個性的」という方向性を考えてはいけないのだろう。

少なくとも、堀江モンを「あり得ない」とか「非常識」と言った人間に
「個性」を語る資格は無いはず。
「あれもアリだけど、私は嫌い」って意見は別かな^^;


これ以外の内容はそれほど興味を惹かれなかった...のだろう。
2週間の間隔を経て、大して記憶に残っていないのだから間違いない。
なるほど、人間ってのはこうして情報の選別を行っているんだな。
ベストセラーの内容も、私にとってはそれほど貴重な情報ではなかったらしい。


さて、話を「個性」に戻して、恒例の「自分を見つめなおす」編(笑)
己が個性的肯定派か?と問うと、私は「基本は否定だが、時折やや肯定派」である。
例えば、後輩が相手に失礼に当たる行いをした場合は注意するし、
自分に近い人間が「おかしな」行いをしていたら、指摘をする。
これらは「自分の常識の範疇」を超えているから行っていると思う。
なので基本は否定派である。

ただ、逆に非常識な考え方や行いでも、それが実に有益な内容であれば、
こっそり感心してしまう時もある。
この時が、やや肯定派。


さて、私の話はこんなもので、次に少し考えておきたい問題。
それは、チョット難しい「ルールとモラルの境界線」の話。
私も、普段は良く分かる(分かってるつもり...が正解かな)。
私の解釈は
・ルールは破ると罰則が付く公の決まり。
・モラルは個人個人で持つ?暗黙の決め事。いわば個人の常識の範囲。
こんな感じ。
「個性」ってのはルールに反してはいけない。(はずだよね?)
ルール違反した個性は個性ではなく、単なる愚行。



例えばモヒカンNGと言われている会社でモヒカンにして行くのは個性ではない。
対して、髪型は常識の範疇で...という会社でモヒカンにしていくのは、個性。
「いや、ちょっとそれは極端でしょ」と言ったアナタ、個性否定派ですね?

禁じられていなければ何をやっても良いのか?
良いんです。
それが個人の常識の範囲の違いであり、それが個性。
個人の常識に任せられなければ、ハッキリとルールにすれば良いのです。
自分の常識を勝手に暗黙の了解事項だと思っているアナタが身勝手なのです。


こ~ゆ~所をハッキリ出来ないのが日本人かな?と思うんですが、
皆さんはいかがかしら???

ちなみに、私はこんな考え方を拒絶はしません。(ダメとは言ってないよね?)
曖昧な日本人気質が大好きです。
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by akbuzz | 2005-05-09 18:30 | 読書感想文

アルジャーノンに花束を

「知恵遅れ」という表現をしてよいのだろうか?
知能障害の主人公は、賢くなることを望んでいる。
科学者達は彼の望みを利用し、彼を「人の手による知能障害改善」の
人間初のモルモットとして扱う。
実験は成功し、彼は徐々に賢くなる。以前には解らなかった多くのことが
解るようになる。
しかし、解らなければ幸せだった人間の嫌な部分まで解る様になってしまう。

彼より先に同様の処置をされた動物モルモット「アルジャーノン」
賢くなった彼は、アルジャーノンと行動を共にし、アルジャーノンの
成長~老衰の過程を目の当たりにし、自分の行く末を解析してしまい、
愕然とする。
やがて彼は己の解析結果通り徐々に知能を失い、元の障害状態に戻ってしまう。



こんなストーリー。実際にはコレに恋愛やら人間関係やら、
学術的な内容やらが絡んでくる。

思いっきりネタバレだが、「アルジャーノンに花束を」はシメの一文。
「いま会いに行きます」みたいなもんだ。(これはアルジャーノンのパクリだっ
たのか...?)
これは人々を泣かせるには持って来いの手法であるらしい。
今回もやられそうになった(>_<)


この本、主人公の日記という形式で物語が進んでいくため、
「知能障害」状態の時期の文面は実に読むのに苦労する。
それもテクニックなんだろうが。最初は意図が良く分からず実にキツかった。


さて、この本から何を汲み取るか?

私は「身分相応の幸せ」というところを言及すべきと感じた。
自分にとって幸せとは何だろう?

この本の主人公は「賢くなってより多くの人に認めてもらう。仲良くなってもら
う」
事が幸せなことだと思っていたはずだ。
しかし賢くなったときに、認めてもらえない・他人と仲良くなれないという
問題に当たってしまう。
つまり、彼は己が幸せになるための手法として、「かしこくなる」という
身分不相応の手段をとってしまったのが失敗となったわけだ。


さて、立場を自分に置き換え、自分にとっての幸せは?

「人と仲良く遊んで暮らす」やはりこれだろう。
一人は嫌だ。寂しがりやだから(笑) けど、そんなに多くの友達も要らない。
多いと一人あたりの付き合いは薄くなってしまう。それは困る。
もちろん知り合いは多いほうが良いが、友達と言ったら、
幼馴染と、学生のころの友達と、会社の仲間と、趣味仲間と、、、
幸い私は従姉妹や親戚とも仲良いし、今くらいでちょうど良い。

仕事での幸せ?最近、仕事で高峰を狙うつもりはスッカリ無くなった。
というのも、そんなにガッついて仕事してもね…という気分。
ただ己の身分相応で狙えるところは狙っている。少なくとも今のように
組織に縛られているのが相応とは思っていない。私はもっと身軽が似合うはず。

・・・そんな幸せってのを考えさせられた1冊。

結構色々考えながら読めて面白かった。皆さんもいかが?
ちなみにこれもBOOK OFFで100円(笑)

ダニエル・キイス作品、また読んでみようかな。
けど私が洋書読むときって時間掛かるんだよね、カタカナ多いから^^;
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by akbuzz | 2005-04-16 19:18 | 読書感想文

ノルウェイの森 読破

私はここ数日、通勤時間の大半をこの小説に費やした。
今となっては、いささか通勤中には不釣合いな小説であったと思うが、
没頭している間の私の脳裏には、そんな小さな考えなど一切浮かばなかった。


上下巻に分かれていたのだが、特に下巻に入ってからの私の集中力といえば
「世界の中心で・・・」に匹敵するものであった。
それは、今日一日で下巻を読み上げ、余裕でこのようなレビューを書いている
ことからも理解できるだろう。
おかげで移動中に消化すべき雑用は一切滞ったまま、PCのデスクトップを占領している。
困ったものだ。


この本、80年代に描かれた内容だけあって、時代背景は実に古臭い。
キャンパスの描写は「当時(よりもさらに昔)の大学生」が忠実に再現され、
音楽はフォークソングに感化されなかった若者達が好んだ洋楽。
到底、生まれてこの方四半世紀の私に理解でいる情景ではなかったが、
それゆえ余計に興味を惹かれる部分でもあった。


恋愛小説と一括りにできないほど、文面には多くの要素が含まれている。
昨今でも、「恋愛」と「友情」と「生死」が絡み合った物語が、日々生まれ
世間で話題となっているが、この話ほど主人公の心情が読み取れる事も
珍しいのではないだろうか?
決して軽い内容ではなく、しかし夢物語でもない。現実の世界に非常に近い
心情が描かれていると私は感じた。


この話から私が得たもの、それは「自分への同情の無意味さ」
「生の中で感じるべき死の位置づけ」「常に正直であること」である。
僅かながらでも、今後の私の生き方に影響が出るのではないだろうか?
少なくとも私自身、それを期待しているのである。


あっ、肝心なことを忘れていた。
この良く分からん文体。。。最も私が影響され即効果の現れた部分か。
やれやれ、影響されやすいってのも困ったものだ┐( ̄ー ̄)┌

ちなみにBxxK OFFで210円(@105x2)。得な買い物♪
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by akbuzz | 2005-01-25 21:35 | 読書感想文